#5 We working めっちゃマジ、他者で隣人の自然たち
3ヶ月ほど準備したイベント仕事 a.k.a. 峠を終えたあと、実際の山に登り、山に関する演劇を見た。その演劇のジャーナル(稽古場のレポート)は、山折りすると山の形になった。
私はダイブする/ジャックされる感覚に関心がある(常にその裂け目を探している)けれど、ダイブもジャックも「誰かとフュージョンするときに起きやすい現象だな」と、他者と会話をしながら思った。他者と関わらないと分からないことが大量にあるし、他者と分かり合えないことも大量にある。開示する・される、混ざる、顧みるような機会が明らかに増えた。切実さを差し出し合うような感覚。衣が透けていったり、オーブが晴れてゆくような感覚。哲学対話のおかげかもしれない。フュージョンに向かうセッションが運命や奇跡の類ではなくなったので、運命や奇跡自体のアップデートがかかっているのかもしれない。そうだとしたら楽しみだ。
自分は自分の偏りが受け入れられる天国的環境を選ぶことに成功していて、その天国に麻痺しないよう・自覚し続けるために、社会を観察 a.k.a. 仕事をしている。自分を観察 a.k.a. 治癒的観点で、「時間のみが解決できる領域があるらしい」という感覚がリアルになってきているが、本の中では「あるのは地味な時間の流れだけです」と書かれていた。